VTuberは“キャラを見せるもの”から“キャラを使って何かをするもの”に変わった
ここまでいくつかのVTuberを見てきて、ひとつ気になることがある。
同じ「VTuber」のはずなのに、見ているものがまるで違う。
キャラクターを見ているはずなのに、キャラクター“だけ”を見ている感覚じゃない。
キャラクターを見ている、はずだった
VTuberを見始めた頃は、もっとシンプルだった。
キャラクターがいて、そのキャラが話して、動いて、反応する。
それを見て、「この子いいな」と思う。
いわばキャラクターを楽しむコンテンツだった。
でも、同じ枠に収まらない
たとえば、
天宮こころを見ていると、
やっぱりキャラクターを見ている感覚が強い。
仕草や声、空気。
「この子を見ている」という安心感がある。
でも、
卯月コウになると少し変わる。
気づけばキャラよりも、会話や空気の方を追っている。
何を言うか、どう転がるか。
そっちが面白くなってくる。
さらに、
花芽すみれまで来ると、もう違う。
見ているのはキャラというより、プレイそのものだ。
強さや判断、その瞬間の動き。
でも、不思議なことに――どれもちゃんとVTuberとして成立している。
同じVTuberなのに、違うものを見ている
これは「違うジャンル」ではない。
同じVTuberの中で、役割が変わっている
- キャラを見る
- 会話を楽しむ
- プレイを見る
その違いはどこから来たのか。
キャラクターは今もある。
でも、それは中心ではなくなった。
キャラの“使い方”が前に出ている。
VTuberは“キャラを見せるもの”じゃなくなった
ここまで見てきて、ようやく言葉になる。
VTuberは“キャラを見せるもの”から
“キャラを使って何かをするもの”に変わった。
キャラクターは入口になった。
その先で
- 何を話すか
- どう遊ぶか
- どこまで極めるか
が見られている。
Editor’s Note|この3人で見えてくるもの
ここで紹介した3人は、
“キャラの使い方の違い”がはっきり見える存在です。
▶ キャラクターを見る楽しさ
▶ キャラでトークを成立させる
▶ キャラでゲームという領域に立つ
同じVTuberなのに、やっていることは違う。
でも、それでも全部成立している。
キャラクターを見ているはずなのに、
気づけば違うものを見ている。
そのズレが、今のVTuberの面白さなのかもしれない。
👉Vtuber図鑑へ
👉
Vtube部とは


