姉妹は、同じ場所にいない。

ミントグリーンのガチャカプセルの中に「EDITOR'S NOTE」と書かれた紙が入った、VTuber文化の広がりを表現したビジュアル 編集者ノート

姉妹のVTuber、と聞くと、なんとなく同じようなものを想像してしまう。

ふたりで並んで、掛け合いをして、関係性で見せる──そんなイメージだ。

けれど、おめがシスターズ と 朝ノ姉妹ぷろじぇくと を続けて見ていると、その前提が少しずつ崩れてくる。

同じ「姉妹」という形をしているのに、見ている感覚がまるで違う。

片方は、画面の中で完成している。

もう片方は、画面の外に広がっていく。

最初は気のせいかと思う。

けれど見ているうちに、それが偶然ではないことに気づく。

この2組は、似ているようでいて、まったく別の場所に立っている。

動画の中で完成する姉妹

おめがシスターズ は、動画で完成するVTuberだ。

2人で掛け合いをする。

ただ、それだけなら珍しくない。

けれど実際に見てみると、少し様子が違う。

会話はそのまま流れているのではなく、細かく切られ、整えられ、テンポが作られている。

間が削られ、リズムが足される。

視聴者が「気持ちいい」と感じる速度に、すべてが調整されている。

つまり、そこにあるのは会話ではなく、編集された会話だ。

この姉妹は、しゃべって面白いというよりも、動画として面白くなるように設計されている。

画面の中で完成する。

それが、この2人の立ち位置だ。

おめがレイ

おめがリオ


画面の外へ広がる姉妹

一方で、朝ノ姉妹ぷろじぇくと は少し違う。

配信もするし、動画もある。

けれど、それだけでは終わらない。

イベントに出る。

地域と関わる。

実際に足を運び、人と接点を持つ。

画面の中にとどまらず、活動が外へと広がっていく。

ここでは、配信や動画は“すべて”ではない。

むしろ、活動の一部に過ぎない。

この姉妹は、何かを見せる存在というより、動いていること自体がコンテンツになる存在だ。

画面の外に広がる。

それが、この2人の立ち位置だ。

朝ノ瑠璃

朝ノ茜

※朝ノ茜はまだ記事がありません。記事は完全ガチャで無作為制作しております。補完までお待ちください。


同じ形で、違う場所に立つ

こうして並べてみると、違いははっきりしてくる。

同じ「姉妹」という形をしている。

同じように2人で活動している。

それでも、成立している場所がまったく違う。

片方は、動画の中で完成する。

もう片方は、現実の活動の中で広がっていく。

どちらが正しいという話ではない。

どちらも成立している。

だからこそ、見えてくるものがある。


VTuberはどこに存在しているのか

VTuberは、キャラクターだと思われてきた。

画面の中にいて、そこで話し、そこで完結する存在。

けれど今は、それだけではない。

動画の中で磨かれる存在もいれば、現実の中で動き続ける存在もいる。

この2つは対立しているわけではなく、同時に広がっている。


姉妹という形が示したもの

同じ「姉妹」という形をしていながら、この2組はまったく違う場所に立っている。

そしてその違いは、VTuberという存在がどこに立つことができるのか──

その可能性を、そのまま示している。

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